さらば、親父。
一昨日、仕事場の休み時間にスマホを開くと、高知県に置いてきた父親の、入院している病院から着信履歴が。
しつこく何回も掛かってきている。
年末にコロナにかかった親父。87才という、歳も歳だし、肺に大きなダメージを受けたこともあり、覚悟はしておくように言われていた。
覚悟を決めて電話をかけた。
「一度は落ち着いていたのですが、昨晩から容態が急変してしまい、本日2時15分に残念ですがお亡くなりになりました」
残念という感情はない。
大きなショックもない。
只一言、天を仰いで
「さらば、オヤジ」
である。
変わった父親だった。ギャンブルが大好きで、人嫌い。勝負事に負けて機嫌が悪い時などに怒らせると一年、二年は口をきいてくれなくなる。いわゆる
「無視」である。
小学生の自分は、怖くてツラかったなあ。
何を言っても無視されて、家のなかに居場所がなくなる。暴力を振るわれたことは一度もなかったが
ガツンと殴られて許してもらう方がどんなに楽だったか。
10年以上貯めていたお年玉貯金もギャンブルに使われたりして、良い思い出はあんまり無かったが、そんな親父もこの7~8年は認知症を患い、体力も落ちて病院で寝たきりに近い状態でした。
一年に何回かは肺炎になりかけたり、暴れてベッドに拘束されたりしていた。
ツラい晩年だったろう。
やっと楽になれたのか。
急いで宮崎から帰って来て、本日、お通夜を済ませました。
高知県に残ってくれていた長男、宮崎から戻った次男、私、奥さん、東京から帰って来た姉の
五人だけのお通夜だった。
父親を囲んで私と姉の思い出話が続く。
良い話は1つも出てこない。
破天荒でむちゃくちゃなエピソードばかりである。
私の奥さんや息子たちはビックリするやら、笑うやら。これではお通夜ではなく
““吊し上げの会““
である。
最後に棺に入れる手紙を書いて下さいと、葬儀やさんから短冊の様なものを渡された。
私は一行だけ
「さらば、おやじ」と書いた。
それを見てうちの奥さん、最後までふざけたらいかん!
と、呆れていたが、ふざけている気は一つもない。
その昔、歌手の吉田拓郎は、ラジオ番組の生放送中に父親が亡くなったとの知らせを受け
ポツリと一言だけ
「さらば、親父」と呟いたという。
父親と息子の微妙な距離感を表した良い言葉だと思う。
明日は認知症を患い、施設暮らしをしている母を迎えに行って六人で小さな御葬式だ。
母と会うのも半年ぶりだなあ。