喫茶店のマスターのプロレス昔ばなし。

50歳を越えた「マニア」まではいかないプロレスファン(特に馬場全日本)の気楽な昔ばなし。話し相手募集中です。

棚橋弘至とジャイアント馬場(2)

その頃(38 ~40 歳)のジャイアント馬場選手はと言うと、全日本プロレスのエースと呼ばれていましたが、腰痛や糖尿病の噂等が出てきて、明らかに全盛期よりも動きが悪くなっていました。

(ここら辺からプロレスを見始めた小学生の私にとっては、それが普通でしたが)

興行も若い鶴田やテリーファンク、ブッチャー、マスカラスなどの外人レスラーが引っ張っていっている感じです。

PWF 王座の連続防衛記録も、思いもよらないレスラーに負けてストップしてしまいました。(ブッチャーより格下のキラー.トーア.カマタ)

しかし、立場的には「エースであってエースでない」馬場選手に哀愁を感じ

た私は、(もう一花!)(もう一丁!)  と、必死になって応援しました。   

私の息子も、たぶん同じ様な気持ちで棚橋選手を応援しているのだと思います。  そうでなければ、(私と同じく)全盛期のファイトを見たことのないレスラーの事を、ここまで熱く応援するはずがありません。


しばらくして、オカダカズチカVS 棚橋弘至のIWGP 戦が発表されたとき


「これで棚橋が負けたら、新日本のファンクラブ、本当にやめる!!」


 と、息子は息巻いていましたが、


棚橋が負けてしまい、オカダに連続防衛記録を追い抜かれてしまった現在も、

新日本プロレスネット配信中継を、ちゃんとみています。


これからも引退するまで、棚橋選手の事を応援していくのでしょう。

棚橋弘至とジャイアント馬場

  「ああっ!嘘やろう!?」

  「最悪やっ!!!」


今年の新日本プロレス「ニュージャパン.カップ」決勝戦、棚橋選手がザックセイバーjr に敗れた瞬間、我が家に私と息子の悲鳴にも近い叫び声が響き渡りました。

棚橋優勝!ビックカムバック!大復活!   と、二人して予想していたのに.........まさか、まさかのフィナーレが!!

息子は、余程のショックだったのか、キッチンとトイレの間をいったり来たりしています。

  「くそっくそっ!」

  「もう新日本のファングラブ辞めちゃる!」 

     めっちゃ怒ってます。

ひとしきり暴れた息子は、私の所にきて、悲しそうな顔をして

 「もう、棚橋はムリやろうか?.....」

    と、聞いてきました。


私は、何て言ってあげたら良いか分からず

 「まあ、棚橋のコンディションの問題もあるし、会社の方針もあるだろうからねぇ...........」  と、言ってあげるのが精一杯でした。


私が住んでいる高知県には、長い間、地上波のプロレス中継がありませんでした。  しかし、2年ほど前にスポンサーが現れ、「ワールドプロレスリング」が突如復活しました。

私は勿論、大歓迎でひさしぶりにプロレスファンにカムバックしましたが、私よりもハマったのが、我が家の長男(当初23 歳)でした。 その頃は、オカダカズチカが大ブレイク中で、AJ.スタイルズや中邑真輔も、まだ居ましたし、内藤哲也もロスインゴJAPANを立ち上げる前後で、人気爆発直前でした。

そして、棚橋と言えば、長年の力一杯のファイトのツケで体のあちこちが故障がちでメンタル面も含め、全盛期と言うにはほど遠い状態。

遂には「東京ドーム連続メイン」の記録も途切れてしまいました。


私は、息子は、誰のファンになるのだろう?と、興味深く見守っていましたが、息子が選んだのは

   棚橋選手でした。


おおっ!!流石、血は争えん!!!

    と、びっくりしました。


何故なら、私がジャイアント馬場のファンになったのも、当時の棚橋選手と同じ38歳頃で、おかれた立場も良く似ていたからです。


  (続きます)

やっぱり馬場は、強いのう。(2 )

私は、その馬場選手の(何て事はない)試合を見て、恥ずかしくなりました。

いつもなら、馬場選手が出てくるだけで、十六文が飛び出すだけで大満足な私でしたが、今日は祖父と一緒に見ているのです。

...大好きなお爺ちゃんに

   面白くないと、言われたらどうしよう?!.......


「こんな馬場が、好きなのかね?」と言われたらどうしよう?!......

と、ドキドキしてしまったのです。


すると祖父は、関心したような表情で

ポツリと一言、


  「やっぱり、馬場は強いのう!」


 と、言ってくれたのです。

お年寄りにも、分かりやすい良い試合を馬場選手がしてくれたのか、馬場大好きな私の事を、思ってくれての言葉だったのか.............今となっては確かめられませんが、とにかく私は馬場選手の事も、祖父の事も、この日を境に

ますます好きになり、神様に、自分の寿命を十年縮めて良いので、祖父と馬場選手を五年づつ長生きさせてあげてください、とお願いするようになりました。


そんな大好きだった祖父も、しばらく後に足の付け根を骨折して入院してしまい、二度とこの部屋に帰って来ることはありませんでした。

馬場選手の方は、噂されていた引退などせず、還暦を過ぎても闘い続けてくれました。


私は馬場選手に、祖父の面影を重ねて

応援し続けたのだと思います。

そして、今でもYouTube等で馬場選手のファイトを見ると、子どもの頃のピュアな心を思いだし、優しい気持ちになれるのです。