喫茶店のマスターのプロレス昔ばなし。

50歳を越えた「マニア」まではいかないプロレスファン(特に馬場全日本)の気楽な昔ばなし。話し相手募集中です。

プロレス界の天使!あべみほさん!

あの、プロレスファンなら誰もが知っているあべみほさんが、都城の片田舎のパチンコ屋さんにイベントで来る....だと!!

私(しばいぬ)とみほさん。

しばいぬ家族とみほさん。


昨日、次男と一緒にふらっと立ち寄ったパチンコ屋さんのイベント告知の看板にビックリ!
「おい、次男。明日、あべみほがイベントで来るらしいぞ」


次男「あべみほって、あの、あべみほ?」


「そうよ!新日本プロレスでタイチのディーヴァ(女性マネージャー)として大活躍した、あの、あべみほよ!」


次男「ウソつきな!あの、あべみほがこんなところに来るわけ無いやん!」


新日本プロレスでは、タイチを支えるディーヴァとして、男子レスラーを相手に時には大立ち回り、ミス.ユニバースジャパンファイナリスト、日テレジェニックベスト美脚賞など、様々な栄冠に輝く超一流のグラビアアイドルが近所のパチンコ屋さんに来てくれる筈がないと、全く信じてくれない次男。
しかし、Twitterをチェックして....


次男「本当や!あの、あべみほや!オレ、違うあべみほかと思ったわ!」


......違うあべみほがおるんかい?!


そして本日。
早番終わりで昼の1時過ぎにお風呂で汗を流している私のスマホに、次男とあべみほさんのツーショット写真が何枚も送り付けられてくる。
羨ましい。


次男「お父さん!何してる!早うサイン色紙買って持ってきて!何枚でもサインしてくれる言ってくれたで!」


なに!!\(^_^)/
こうしちゃいられない!
ゲリラ豪雨の雷のなか、奥さんを引き連れ文具屋さんで色紙とサインペンを購入して
””ユーコーラッキー都城店””
に、突撃だ。


しかし、肝心のあべみほさんが、どこを探しても居ない。


あべみほさん実践中の立て看板のあるスロットコーナーにも浴衣姿の彼女は居ない。


豪雨がヒドイので、中止になって帰ってしまったのか?
家族三人で店内を探し回っていると、外に出ていたみほさんが、自動ドアをくぐり店内に戻ってきてくれた!すかさず次男が声をかける。


次男「あの!さっき言ってた家族が色紙を持ってきてくれたので、サインをお願いします!」


「あ!いいですよ!こんにちは、はじめまして!今日はありがとうございます!」


天使の笑顔だ。


一番ハマったのはうちの奥さん!


奥さん「いやー!キレイ!顔、ちっちゃい!可愛い!」


大はしゃぎである。


しかし、みほさん、急な大雨での気圧の変化と、朝イチからのパチンコ実践の騒音などで体調をくずし、目が回って何回も車に行っては休んでいたらしい。


しかし、健気にもガッツポーズを作って
「よし!サインしますよ!撮影会もやりましょう!」
と、我々しばいぬ家族の為に大ハッスルしてくれている。


隣のテーブルから、しばいぬ家族用の椅子を運んできてくれたみほさん。
家族全員プロレスファンで、みほさんの大ファンでもあります、と伝えると、大変喜んで高知県に残っている長男の分までサインを書いてくれました。


しかし、サインを書いてくれながら、
みほさん「すいません、壁に寄りかかっていいですか?」


おいおい、大丈夫かいな?


立っている、どころか座っているのもしんどい様子。


実はみほさん、持病でメニエール病を持っているらしく、


みほさん「プロレスの試合中、追いかけられたりして、よく転んでいたでしょ?ああいう時は、大体この病気が出たときなんですよ!」


おお!そんな事実があったとは!
思わぬプロレス裏話も聞けたし、具合も悪いだろうに、何枚も写真をとってもいただいた。


調子に乗って、家族全員で記念撮影である。
目まいのするなか、くるくる回って
可愛いポーズを、とってくれたみほさん。
プロだ!グラビアアイドルの鏡よ!


我々家族の為に20分近くも時間をさいてくれて、最後は
「また、会いましょう!」
と、言ってくれました。


あべみほさんが、お昼の休憩に使ったジョイフルで家族で遅い昼御飯。



「可愛いかったねぇー!」
「優しかったねー!」
「また、会いたいねー!」


家族全員メロメロだ。
特にうちの奥さん(美人)
などは、
「若ーい!!おキレイですね!お母さんじゃなくて、彼女さんかと思ったー!」
次男の彼女と間違われ、上機嫌。


ファンを喜ばせる
プロだ!!!!!!(´∀`)

さらば、親父。

一昨日、仕事場の休み時間にスマホを開くと、高知県に置いてきた父親の、入院している病院から着信履歴が。

しつこく何回も掛かってきている。


年末にコロナにかかった親父。87才という、歳も歳だし、肺に大きなダメージを受けたこともあり、覚悟はしておくように言われていた。


覚悟を決めて電話をかけた。


「一度は落ち着いていたのですが、昨晩から容態が急変してしまい、本日2時15分に残念ですがお亡くなりになりました」


残念という感情はない。

大きなショックもない。

只一言、天を仰いで


「さらば、オヤジ」


である。


変わった父親だった。ギャンブルが大好きで、人嫌い。勝負事に負けて機嫌が悪い時などに怒らせると一年、二年は口をきいてくれなくなる。いわゆる

「無視」である。

小学生の自分は、怖くてツラかったなあ。


何を言っても無視されて、家のなかに居場所がなくなる。暴力を振るわれたことは一度もなかったが

ガツンと殴られて許してもらう方がどんなに楽だったか。

10年以上貯めていたお年玉貯金もギャンブルに使われたりして、良い思い出はあんまり無かったが、そんな親父もこの7~8年は認知症を患い、体力も落ちて病院で寝たきりに近い状態でした。


一年に何回かは肺炎になりかけたり、暴れてベッドに拘束されたりしていた。

ツラい晩年だったろう。

やっと楽になれたのか。


急いで宮崎から帰って来て、本日、お通夜を済ませました。

高知県に残ってくれていた長男、宮崎から戻った次男、私、奥さん、東京から帰って来た姉の

五人だけのお通夜だった。


父親を囲んで私と姉の思い出話が続く。

良い話は1つも出てこない。

破天荒でむちゃくちゃなエピソードばかりである。

私の奥さんや息子たちはビックリするやら、笑うやら。これではお通夜ではなく

““吊し上げの会““

である。


最後に棺に入れる手紙を書いて下さいと、葬儀やさんから短冊の様なものを渡された。


私は一行だけ


「さらば、おやじ」と書いた。


それを見てうちの奥さん、最後までふざけたらいかん!

と、呆れていたが、ふざけている気は一つもない。


その昔、歌手の吉田拓郎は、ラジオ番組の生放送中に父親が亡くなったとの知らせを受け


ポツリと一言だけ

「さらば、親父」と呟いたという。


父親と息子の微妙な距離感を表した良い言葉だと思う。


明日は認知症を患い、施設暮らしをしている母を迎えに行って六人で小さな御葬式だ。


母と会うのも半年ぶりだなあ。

猪木が死ぬわけがない。皆、何いってんだ!

朝、チャンネル登録しているお気に入りの「プロレス係YouTuber」からのお知らせが。


「猪木さん、ありがとう。追悼動画は、後日配信いたします」




飛び起きた!!!




嘘だ!あの殺しても死なない、悪魔のような男『アントニオ猪木』が死ぬわけないだろう?


テレビを見ても、ラジオを聴いても、ネットニュースを読んでも

““猪木、死す““  である。


そんなわけ、ないだろう。


馬場と猪木は


プロレスの神様

なのだから、最初から死ぬの生きるの、の対象ではない。(と、思う。)


私の大好きなジャイアント馬場は1999年に亡くなったのですが、私の中では今も生きています。


YouTubeでも、いつでも元気な姿が見られますしね。

そうだ、そうだ、猪木が死ぬわけがない。

死んだって死んでない。良かった良かった。


でも....肉体は失われたのかな。

葬儀も行われるだろう。


それこそ、日本武道館で『プロレスファン葬』だ。


アントニオ猪木ファンはジャイアント馬場のことが嫌いな人が多かったけれど、我々ジャイアント馬場ファンは、アントニオ猪木のことも大好きな人が多かった!と思う。

馬場がいて、猪木がいた。

猪木がいて、馬場がいた。


そして日本のプロレスがあった。



「昨日、私は死んでしまいましたが.....元気ですかーーー!!元気があれば、何でも出来る!」


今にも猪木が出てきて言いそうだ。


「さあ!せっかく俺が死んだのだから、プロレス団体は追悼興行で一儲けしろ!テレビ局は追悼番組で視聴率を稼げ!プロレスYouTuberは、視聴回数アップを狙え!ワッハッハハ!!」


空の上で豪快に笑っている猪木の顔が目に浮かぶ。

( ´∀`)( ´∀`)( ´∀`)



昔読んだ、週刊ファイトの名物編集長、井上さんの著書

『猪木は死ぬか』

を思い出す。


猪木は死なない。生き神が本当の神様になっただけの話だろう。


人気ブログランキング